第3回「小国鶏とともに歩む人生」
123 | 4 | 5
  
小国鶏との出会い
 
 日本家禽会に入会後、種市氏は旺盛な研究心で様々な鶏の飼育に挑戦。愛鶏家としての知識と経験を深めていく過程で、欲しいものがひとつあった。

「鶏の世界をさらに詳しく知るための参考書が欲しかった。当時は、鶏の本なんてありませんから、ほうぼうを探して歩いた」

 その結果、手に入れたのが日本画家・村松弥幸氏が著した『泰西養鶏画集』だった。

 種市氏がやっとの思いで手に入れた書物には、写真とともに日本鶏それぞれの特徴が細部にわたって紹介され、巻末には鶏と人間がつむぎ出してきた文化が図版入りで解説されていた。

 鶏関係書物の名著のひとつと位置づけされる本書を、種市氏はそれこそむさぼるように読んだ。鶏を取り巻く文化や歴史の奥深さに感銘を受け、ますます鶏の世界に没頭した。

 しかし、最も衝撃を受けたのが1頁目に掲載されていた1枚の写 真であり、この1枚が愛鶏家としての種市氏の方向性をきめたのである。 「何といったら言いか。こんなに優雅で美しい鶏がこの世にいるんだろうかと目を疑いました。そして、解説を読むと、日本鶏のルーツとなる鶏のひとつだと書かれていた。まさに、これだ!と思いました」

 現在の種市氏にとっても、いまだバイブルであり続ける『泰西養鶏画集』の1頁を飾っていたのは、ほかでもない唐の国より船に乗って渡ってきた「小国鶏」だったのである。

 この写真との出会ってからというもの、種市氏の頭から小国鶏の姿が消えることはなかった。しかし、当時の岩手では小国鶏の存在すら知られていないのが当たり前で、ましてや飼育している者などいるはずがなかった。一度は自分の手で飼育したいと熱望した種市氏だったが、夢の実現は簡単ではなかった。

 ところが、願えば叶うとはよく言ったものである。赴任する沼宮内小学校に、神奈川の愛鶏家より小国鶏が贈られてくるという、種市氏にとっての一大事が起こったのだ。創立100年を迎える沼宮内小学校への記念品。それが小国鶏だった。

 初めて手にする小国鶏。種市氏とって、その瞬間は生涯忘れられないものとなった。 「手にした小国鶏は、本の通り、実に優雅で気品に満ちあふれていました。出会えてよかった、本当によかったと、心から思いました」

 こうして小国鶏を飼育しはじめた種市氏は、これを機に自宅の鶏舎で飼育していた他の鶏をすべて知人友人に譲った。これからは小国鶏の保存・育成に懸けると心に決めたからであった。

 その後は、繁殖にも無事成功。知人の愛鶏家に配られた種市家生まれの小国鶏は、それぞれの場所で「小国鶏」の優雅さと野生味を伝えたのである。
種市氏が小国鶏と出会うきっかけとなった『泰西養鶏画集』。
小国鶏のつがい。
気品あふれる姿形と、
立派な尾と蓑が小国鶏の特徴である。。
翼を羽ばたかせる小国鶏の雄。
かつて闘鶏でならしただけあって、
気品の中に野生味がのぞく。